上前さんの「縫い」の仕事
平井 章一(関西大学文学部教授)

上前さんの絵画の魅力とはなんだろう。どれも造形的に優美というわけではなく、むしろ無骨で手仕事感が強いものばかりだ。しかし、観る人はみなその画面に引き込まれてしまう。
例えば「縫い」の仕事である。まずは画面に広がる無数の細かな線の集積に圧倒される。次に、その集積の背後にある膨大な制作の時間に思いがおよぶ。そして最後に、執念ともいえる強い意志で画面の完成に向け作業を反復する「上前智祐」という人物と、想像の世界で対峙することになる。
実際、上前さんはそうした作品そのままの人であった。何か尋ねても答えはいつも断片的、どう解釈してよいか分からず首をかしげることもしばしばだったが、こと自分が言いたいことになると猛然とお話しされ、驚かされることもあった。朴訥、寡黙にして、好き嫌いを含めご自分の意志は周りに遠慮なく示す、真っ直ぐなかただった。
この上前さんらしさは、作品以外にも現れているように思う。上前さんは生前、著書を何冊も自費出版された。いずれも自身の歩みや「具体」の会員たちとの葛藤、独自の芸術観を記したものだ。また、それらにはポートレイト写真が多数収録されているのだが、その多くはセルフタイマーで撮影したものである。そして上前さんのアトリエを訪れたことがある人なら、これらの文章や写真が全体のほんの一部に過ぎないこと、上前さんが日々膨大なメモと写真を生み出していたことを知っているはずだ。上前さんにとって、作品制作と思索、撮影は自己存在のたゆまぬ確認であり、展覧会や出版はその証明であった。
自身の生の意味や価値を問い続けた上前さん。そこには貧困や劣等感との戦いがあった。彼はそれに打ち勝ち生き抜くために、美術を、絵画を必要としたのだ。上前さんの「縫い」の仕事の愛好者は、多かれ少なかれ、画面を貫く一徹さ、純粋さ、画面全体の密なるエネルギーに心揺さぶられた人たちにちがいない。それは上前さんの作品が、「生きる」という普遍的なテーマを持っているからであろう。そのため、作品は観る側の人生の深まりとともに味わいを深めていく。そして私もようやく、上前さんの「縫い」の仕事がしみじみと分かる年齢になった。